多田千香子 | Pen&Co.(ペンアンド)株式会社・代表取締役CEOのブログ

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我が懺悔録

 丁稚ケイの高祖父がシアトルに滞在していた話は、少し前に90代で亡くなった彼の娘さんが所蔵していた書物が、ケイの祖母の手に渡ったことから判明しました。毛筆で書かれた和綴じ本で、タイトルは「我が懺悔録」だそう。
 ひえー、明治男子、いったい何を懺悔したかったのでしょう。「もう捨てようかと思っていましたが」とはケイの祖母の言ですが、待って待って。詳しく読みたい。今度、鳥取に行ったらしっかり調べてみようと思っています。って、読めるのか私。
 シアトルへは女子教育に役立てようと洋裁の勉強に行った…と以前のブログで書きましたが、ちょっと違うようです。「女子教育のために」という目的はあったものの、具体的に「何か」はなく、洋裁と出会ったのはシアトルでのことのようです。帰国後は何冊かパターン付きの洋裁教本も出版したそうです。それも祖母の手元にあるのだとか。でもどうやって洋裁に巡り合ったのだろう。
 いまでこそニットの貴公子などもいますが、それでもいまでも洋裁を教える男性の先生は珍しいと思います。男性デザイナーはたくさんいるのに。ましてや明治時代、もちろんインターネットも何もなく、情報らしきものはなかったに違いないのに、「女子教育のため」との志を胸にシアトルに渡った…やっぱり熱いよ、すごいよ、無謀だよ、ひい×2じいちゃん。この人に比べたら私もまだまだ、無謀も修業も足りんなぁ。でもなぜ懺悔なんだろうなー。