看板牛
聖地ヴァラナシでは動物も人間も、生と死もごっちゃ混ぜ。私たちが包み隠している、あるいは目をそむけている、あるいは普段、忘れている「何か」があからさまです。圧倒されます。何か、って何だろう。人間の欲とか、貧しさの訳とか、生きる意味とか、死がそばにあることとか…。「とりすましているけれど、あなただって同じでしょう?」。そう言われているみたい。心が揺さぶられます。
M子ちゃんが言いました。「歩く人たちはみなフツーなのにね」。そう、みんな叫んだり、怒ったりしているわけではありません。物を売ったり乞ったり買ったりしている違いはあるけれど、ごくフツーです。それが集まると圧倒的な生きとし生けるパワーになってみえるから不思議です。写真は布地屋さんだったかな、お店に牛がノッソノソ。店主も客も、そして壁の神様も平然と受け入れているのでした。