福岡・久留米の「KURUME・ジェラート」を好きな理由

久しぶりに福岡・久留米のジェラート店「KURUME・ジェラート」を訪ねました。今年で13年目になるのだとか。コロナ禍もあって土日祝だけのオープン(平日は持ち帰りのカップのみ販売)になり、足が遠のいていました。
久留米で働く姉に教わったのは開店まもない、2010年ごろだと思います。当初から愛してやまないジェラート屋さんです。

いまは亡き母も好きでした。闘病中の彼女に買おうとケースの前で「えーと、あまおうミルク、抹茶…どれがええ?」などとフレーバーを実況したこともありました。
亡くなる日の朝「アイスクリームなら、入るかなあ」と言われ一瞬、KURUMEジェラートを食べて欲しい!と脳裏をよぎりました。もちろんそんな猶予はなく、慌てて大学病院のコンビニで買ったハーゲンダッツヴァニラ・アイスが、母が最期に食べたものになりました。私もlast supper はジェラートか、アイスクリームがいい。
KURUMEジェラートを大好きなのは、ていねいで、心映えのする味わいだから。いつも店主のS子さんが、どんなに忙しくても玄関口まで見送ってくれるから。
好きすぎて、インドから一時帰国中に働かせてもらったこともありました。
今回はパフェに引き寄せられてしまいましたが、やはりカプチーノ味のジェラートもよかったです(人のを味見)。

福岡・天神に戻り、通りがかったので期日前投票もサクッと終えました。新年度、前だけ向いてkeep on running してまいります。

パリと京都、おやつと文章と

かけがえのないご縁を思うたび「もしあのとき~していなければ、~だったろう」と、脳内が仮定法だらけになる。とりわけ私にとってウルトラCなのが、マユさん、ケイさんとの出会いである。

マユさんと出会ったのは、もう17年前の春になる。料理学校ル・コルドンブルー神戸校(いまは閉校)で、隣り合わせた。当時の私は新聞社を辞めてパリに製菓留学、一時帰国中だった。フランス地方菓子(だった気が)を学ぶ上級者向けコースに参加した。

なぜ日本でわざわざフランス菓子…。岡山の実家で何者でもない自分が、いまは亡き母と向き合うのがつらかったのかもしれない。

昼休みに話しかけたのがマユさんだった。製パンコースの専攻で、フランスが好きで。まだSNSなどない時代、メールアドレスを交わして別れた、と思う。

留学を終えた1年後(2007年)、私は京都に住もうと二条城近くの長屋を借りた。改装しながら住むという「DIY奮闘記」を、ほぼ同時進行で「京都に住まえば…」(キョースマ)という雑誌(淡交社)に連載していた。

私の記事を東京で読んでくれたのが、ケイさんだった。京都に住みたいと思っていて、雑誌を手にしたという。「長屋に住んでるなんていいなあ」と、私のウェブサイトにたどり着き、出版祝いのフェット(パーティー)に申し込んだらしい。

当日はわざわざ東京から駆けつけてくれた。名前から勝手に女性と思い込んでいたので「あ、あなたが!」と驚いた記憶がある。

マユさんも大阪からお祝いに来てくれて、2人は出会った。ほどなくしてケイさんは京都に仕事を見つけ、引っ越してきた。

私が神戸のコルドンに行かなければ、雑誌に私が記事を書いていなければ。ケイさんがそれを目にしていなければ。目にしていても、京都までケイさんが足を運ばなければ。すべての文章に「たまたま」がつく。

パリと京都、そして微力ではあるけれど、文章の力を思う。

マユさんとは7~8年ぶりに会った。ケイさんとは、10年ぶりになるだろうか。

そして「はじめまして」のJ君を、ぎゅうと抱きしめた。「れば」がひとつでも現実だったなら、君は、この世にいなかったんだよ。

J君は開口一番「久しぶり」とほほ笑んだ。えっ、会ってたっけ…。そうか、彼がお腹の中にいたころ、マユさんと大阪で会っている。そのことかな。

小2のJ君は、ゆっくりゆっくり育っている。「福岡ぶらり旅日記」と書かれた「しおり」の表紙を飾っているのは、なんと私だった。マユさんが「ちかこさんと会う」を福岡旅行の「すること」に入れたおかげらしい。

コルドンを終えたマユさんは「ぱん作家」として活動した。大阪・中津で「tricotons(トリコトン)」という、かわいいフランス菓子とパンの店を開いていた。閉店してからはほぼ、焼いていないという。業務用オーブンはとってあるけれど…。「処分できなかったんですよ」。

2013年にインドに引っ越す前、私が彼女に譲ったリンナイのガスオーブンは、使ってくれているというけれど、心からもったいない。

「あの世界観は、マユさんにしかできない。またスイッチオンして」。

福岡・舞鶴公園の桜の木の下で熱弁をふるった。でも私だって人のことは全然言えない。インドで製菓道具はほぼ処分した。コロナ禍で本帰国、シェアハウスにいたころはまだ、お菓子を焼いていた。でもここ1年はプリンやホットケーキばかりで、ご無沙汰していた。

焼き菓子を1年以上ぶりに焼いたのは、東京で友人たちと会うためだった。お土産を買って持っていくにはかさばるし…と、久しぶりに富澤商店で粉や砂糖を買った。それだけでワクワクした。小さなデロンギコンベクションオーブンでせっせと焼き、インドから持ち帰ったトリコロールのひもで結わえた。なんてことない私の焼き菓子を、みんな喜んでくれた。

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東京で会った編集者の友人がくれた言葉が、背中を押してくれた。「千香子さんのお菓子は、心を動かすお菓子なんです」。

励まし励まされた言葉たちが動き出し、チカラに変換されるのを感じる。前へ進んでいこう。

 

岡山朝日高校京浜同窓会に出席して

母校である県立岡山朝日高校の京浜同窓会に10月29日、参加した。オンラインでの総会・懇親会に幹事の方からお声がけいただき、ロシア文化オーガナイザーとして活躍する同窓・中川亜紀さんと対談したのだった。

そもそも私が東京に住んでいたのは1年余りで、いまは福岡在住だ。「京浜」同窓会に有資格者かどうかも怪しいのだが、会報にも寄稿させてもらっていた。

この会報、書店に並んでいる情報誌のようなクオリティの高さで、さすが朝日とうなった。2022年度の幹事のひとりが大手出版社の編集者で、むべなるかな。

NHK朝の連続テレビ小説にちなんで、今年の会報のテーマが「おいしゅうなれ」というわけで、私に声をかけてくださったようだ。

ページをめくった瞬間、泣けて泣けてなつかしすぎた。大手まんぢゅうや翁軒、朝日高校の思い出…たっぷり詰まりすぎている。学食や「うどん小屋」のいわれなんて初めて知った。(文体もさすがに面白くて読ませる)

ロシア料理家である亜紀さんとの対談のテーマも「おいしゅうなれ」というわけで、

食をテーマに話した。さすが朝日(こればっかり)、準備も万端で、ちゃんとプロットも用意してくださっていた。

話すテーマの箇条書きのひとつに「食べることを通じて、人とつながることとは」とあった。ハッとした。

食から生まれるストーリーをつむぎたい。そう思って新聞記者からパリに留学、「おやつ」をテーマにしたモノカキになった。帰国して京都で開いた1回目のお菓子教室に来てくれた80歳の女性が言った「サブレって、熱いんやねえ」との言葉に気付きをもらったように、食を通じて生まれた言葉をシェアすることで、人と人を、つなげたい。

その思いはいまも変わらないけれど、子育てやインド滞在7年をへて、ステージが広がった。社会の風通しを1グラムでも1ミリでもよくするために、何ができるかを考えている。自分のやれること、やりたいことと社会への貢献度を考えると、最適解は何なのか。生きている限りチャレンジしたい。

そんなことを話そうと思っていたけれど、30分足らずでは尻切れトンボになったかも。

ブレイクアウトルームでの懇親会になる前、校歌のピアノ演奏が流れた。「くにつちの…」。卒業して30年以上たってもまだ、歌詞を覚えていた。じんとした。

私たちのライブ対談に続いて、岡山といえば…の名物(吉備だんごではない!)「大手まんぢゅう」の工場見学レポートの映像が流された。画面に顔がめり込む勢いで見入る(跡継ぎの方もOBなのだった)。

蒸したての大手まんぢゅうがずらり、並んで出てくる。ああ、夢に出てきそう。

岡山・雄町にある工場で買った大手まんぢゅうが、どこで買うより一番おいしい。「工場で買ったやつじゃから、はよう食べねえ」と叔父や叔母からもらったっけ。

同窓会で大切なものを確かめた。心から感謝したい。

 

追記:いま「関連記事」としてついてきた過去のブログをみたら、10年前の東京在住時に住所変更していたようだった。また登録を変えないと…。

tadachikako.hatenablog.jp

3年ぶりのマーケットに出かけて

住まいの近くで「福マルシェ」という、ファーマーズ・マーケットが開かれた。この場所での開催は3年ぶりという。インドから本帰国して福岡に住んで2年半、ずっとコロナ禍だった。

やはり子どもと2人暮らし、どこかで緊張感がある。人込みを避けて過ごしてきた。こうした情報にも疎かったが、福岡市内で毎月、開かれているとのこと。

fuku-marche.com

 

ぶらぶらStallを冷やかして歩く。行列は避けて、すいているところへ。深い話はしなくても、心映えする品物だと分かる。不思議だな。

八女市の手作りハム・ソーセージ屋さん「TOBIKATAYA」ではホットドッグ(750円)を。お兄ちゃん(かな?)がレジで、弟さんがグリル係で。パンがふかふかで、ソーセージは、ほんと教本通りのてらいのなさで。もりもりの玉ねぎと玉ねぎフライチップがおいしかった。なかよしブラザーズの、味わいがした。

いとしまジャム」は、市場に出回らない無農薬野菜や果物でつくられたジャムが並んでいた。試食させてもらい、迷って甘夏&コーヒー味(850円)、にんじん&かぼすジャム(750円)を買った。

いちごソフトクリームは、「イシダファーム」さん。Mで900円。2人とも無言で一気に。

フランスのマルシェやアメリカ、ハワイのファーマーズ・マーケットを思い出した。こうした場所で買うのが楽しくて意味があるのは、作り手と向かい合えるから。

マーケットに来るのっていつ以来だろう…と考える。最後に行ったのは2020年1月ごろ、住んでいたインド・デリー郊外グルガオンだった。

複合ビル「One Horizon Center」の2階広場で週末の朝、ファーマーズ・マーケットが開かれていた。階段を上がって左に友人の店が出ていて、奥にはやはり、ソーセージ屋さんが出ていて。インドでは貴重なポーク・ソーセージを売っていて、いくたびにオムレツと一緒にいただいたっけ。インドらしく、若いお兄さんがやっていて、なかなかにぎわっていた。おっきなインドのアボカドがおいてあった。隣にはコーヒー屋台があったな。

なんとなくホットドッグを選んでしまったのは、あのマーケットの残像だったのかもしれない。ようやく、本当に久しぶりに、味わえる日常をかみしめる。

DTPデザイナーコースを修了して

パソコンスクールで受講していた「DTPデザイナーPlus講座」を修了しました。いまどきはやりでいえば、リスキリングです。AdobePhotoShopIllustratorInDesignまで、ひととおり学べるコースでした。

ウェブメディア「ペンとスプーン」を立ち上げ、電子書籍を2冊、見よう見まねで出してようやく、「本のなりたち」を知りたい、習いたいと思ったのがきっかけです。

2月から9か月間、週2ペースで通いました。振り替えができたおかげで欠席は当日、1回のみです。通うのと同じ(か、それ以上)ぐらい大変だったのが、国の教育給付金を利用するための役所とやり取りでした。

日本の役所がDXと100万光年の彼方というのは、お弁当の電子書籍「Bentobox.page」を制作するため、獲得した「小規模事業者持続化補助金」でも経験しました。

補助金も「紙祭り」でしたが‥。今回の教育給付の場合、書類は「紙に手書き」で、さらに「郵送不可」でした。対面で持参に限られました。

年明けからオフィス勤務をしていたので、閉庁する17:15までに役所に駆け込むのに苦労しました。オフィスを16:30には出ねばならず、そのため1時間の休みを申請(ちゃっかり減給される)するという‥。何とももどかしさを味わいました。

不正受給するケースもあるから仕方ないのかもしれませんが、いや、不正があるからこそ、何とかならないものか。労働者としてスキルアップするための制度なのに。

ガラパゴスというにはガラパゴスに失礼レベルで、脱力しました。

 

ともあれ修了書(給付金の信ぴょう書類に必要なので、1100円支払って)を受け取りました。たかが紙1枚ですが、やはりTangibleなのはいいなあ、と。役所の紙至上主義はさんざん、批判しておいてナンですが。

ずっとスクールに時間を割いていたので、通学を終えたいま、あれ?なんでこんな余裕があるんだ?という感じです。うれしい。通い始めた2月は半信半疑で、修了するまでが遠い未来のように思えたのに。終わってみればあっというまでした。

通っている間、休んでいたウェブメディアやYouTubeも、ゆるゆる再開、種まきしようと思っています。

もちろんせっかく身につけた(まだ半人前とはいえ)DTPのスキルをいかすために、編集や出版活動も。

「この坂を上り切ったら、きっと社会は1ミリでもよくなる」と信じて出版活動を続ける、滋賀・能美舎の堀江さんの記事に共感しました。

note.com

私もがんばろう。

 

エビフライとシェアハウス

コロナ禍のためにインドから緊急帰国した2年前、シェアハウスで暮らしはじめました。とりあえずアパートが見つかるまで…というつもりでしたが、居心地のよさもあって結局、1年8か月を過ごしました。

 

昭和時代は和菓子工場で働く女性のための寮だったという建物は、おしゃれにリノベーションされ、起業家向けのシェアハウスとして活用されていました。シェアオフィスやセミナールーム、広いリビングには代々の住人が残していった本もあってたくさんありました。キッチンには業務用のピザオーブンまであり、コロナ禍が落ち着いたころには元・住人も集まってピザを焼いて楽しみました。

 

なかよくなったのが東京出身のKさんです。よくキッチンで一緒になりました。彼女はオクラやキュウリをきちんと塩もみするような料理好きでした。若いのに、きちんとしているなあと感心しました。

 

お弁当を毎朝、つくっている私にある日、かおるさんが「私のもつくってほしい」と頼みに来ました。

 

2人分も3人分も一緒…と、シェアハウスでの「シェア弁当」を気安く引き受けました。リクエストを尋ねましたが「何でもOK」「嫌いなものもない」とのこと。任せてくれるのはありがたったです。

 

何でも「おいしい」と言ってくれて励みになりました。とりわけエビフライが好物でした。在宅勤務だった彼女は毎朝、コーヒーを淹れながら私がつくったお弁当のふたを少し開けて、中身をチェックするのですが、ある日、「キャー!」という声がしました。「私、エビフライ、大好きなんです!」

 

冷凍食品の出来合いを買ってあげるのとは全然、違って、ぷりぷりしておいしさは格別です。

エビフライを揚げたり、オクラに塩をふって小さなまな板に転がすたび、彼女を思い出します。

福岡タワー

久しぶりに、ブログを更新をしてみようと思う。noteは残念ながら、閉じてしまったし。少しずつ、リハビリを兼ねて。

 

コロナ禍のインドからバタバタ本帰国した2020年5月、福岡のシェアハウスに入った。住まいを決めるため、1か月ほどの仮住まいのつもりだったのだけれど…。

 

私たち母子に行き場はなく、シェアハウスはあたかかった。オーナーの厚意で子連れ滞在は認められ、マネジャー役もやらせてもらった(シェアハウス暮らしについては、また書きたいと思う)。

 

なんだかんだで1年8か月という、まあまあの長さになった。居心地が、よかったのだ。

 

一つ屋根の下に暮らした元・シェアメートが福岡に訪ねてきてくれた。「背が高くなったね~」。11歳児もかわいがってくれていた。

 

彼女はリモートワークをしながらサブスクの宿を使い、旅するように暮らしている。年内にはコロナ禍のために足止めされていたオーストラリアへ、渡る。

 

海辺の店で頼んだタコスは、評価がむずかしいおいしさだったけれど、コロナビールをおいしそうに飲む姿は相変わらずだった。

 

忘れずにいてくれて、ありがとう。

 

見上げた福岡タワーのイルミネーションが、満月バージョンだった。

 

ぺったん、ぺったん、餅つきするウサギ。

 

2人でケラケラ笑いながら撮影した。こういう時間が、心からありがたい。かみしめる。