多田千香子 | Pen&Co.(ペンアンド)株式会社・代表取締役CEOのブログ

「ペンで、心を動かす」Pen&Co.株式会社:https://pen-and.co.jp

パリと京都、おやつと文章と

かけがえのないご縁を思うたび「もしあのとき~していなければ、~だったろう」と、脳内が仮定法だらけになる。とりわけ私にとってウルトラCなのが、マユさん、ケイさんとの出会いである。

マユさんと出会ったのは、もう17年前の春になる。料理学校ル・コルドンブルー神戸校(いまは閉校)で、隣り合わせた。当時の私は新聞社を辞めてパリに製菓留学、一時帰国中だった。フランス地方菓子(だった気が)を学ぶ上級者向けコースに参加した。

なぜ日本でわざわざフランス菓子…。岡山の実家で何者でもない自分が、いまは亡き母と向き合うのがつらかったのかもしれない。

昼休みに話しかけたのがマユさんだった。製パンコースの専攻で、フランスが好きで。まだSNSなどない時代、メールアドレスを交わして別れた、と思う。

留学を終えた1年後(2007年)、私は京都に住もうと二条城近くの長屋を借りた。改装しながら住むという「DIY奮闘記」を、ほぼ同時進行で「京都に住まえば…」(キョースマ)という雑誌(淡交社)に連載していた。

私の記事を東京で読んでくれたのが、ケイさんだった。京都に住みたいと思っていて、雑誌を手にしたという。「長屋に住んでるなんていいなあ」と、私のウェブサイトにたどり着き、出版祝いのフェット(パーティー)に申し込んだらしい。

当日はわざわざ東京から駆けつけてくれた。名前から勝手に女性と思い込んでいたので「あ、あなたが!」と驚いた記憶がある。

マユさんも大阪からお祝いに来てくれて、2人は出会った。ほどなくしてケイさんは京都に仕事を見つけ、引っ越してきた。

私が神戸のコルドンに行かなければ、雑誌に私が記事を書いていなければ。ケイさんがそれを目にしていなければ。目にしていても、京都までケイさんが足を運ばなければ。すべての文章に「たまたま」がつく。

パリと京都、そして微力ではあるけれど、文章の力を思う。

マユさんとは7~8年ぶりに会った。ケイさんとは、10年ぶりになるだろうか。

そして「はじめまして」のJ君を、ぎゅうと抱きしめた。「れば」がひとつでも現実だったなら、君は、この世にいなかったんだよ。

J君は開口一番「久しぶり」とほほ笑んだ。えっ、会ってたっけ…。そうか、彼がお腹の中にいたころ、マユさんと大阪で会っている。そのことかな。

小2のJ君は、ゆっくりゆっくり育っている。「福岡ぶらり旅日記」と書かれた「しおり」の表紙を飾っているのは、なんと私だった。マユさんが「ちかこさんと会う」を福岡旅行の「すること」に入れたおかげらしい。

コルドンを終えたマユさんは「ぱん作家」として活動した。大阪・中津で「tricotons(トリコトン)」という、かわいいフランス菓子とパンの店を開いていた。閉店してからはほぼ、焼いていないという。業務用オーブンはとってあるけれど…。「処分できなかったんですよ」。

2013年にインドに引っ越す前、私が彼女に譲ったリンナイのガスオーブンは、使ってくれているというけれど、心からもったいない。

「あの世界観は、マユさんにしかできない。またスイッチオンして」。

福岡・舞鶴公園の桜の木の下で熱弁をふるった。でも私だって人のことは全然言えない。インドで製菓道具はほぼ処分した。コロナ禍で本帰国、シェアハウスにいたころはまだ、お菓子を焼いていた。でもここ1年はプリンやホットケーキばかりで、ご無沙汰していた。

焼き菓子を1年以上ぶりに焼いたのは、東京で友人たちと会うためだった。お土産を買って持っていくにはかさばるし…と、久しぶりに富澤商店で粉や砂糖を買った。それだけでワクワクした。小さなデロンギコンベクションオーブンでせっせと焼き、インドから持ち帰ったトリコロールのひもで結わえた。なんてことない私の焼き菓子を、みんな喜んでくれた。

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東京で会った編集者の友人がくれた言葉が、背中を押してくれた。「千香子さんのお菓子は、心を動かすお菓子なんです」。

励まし励まされた言葉たちが動き出し、チカラに変換されるのを感じる。前へ進んでいこう。