岡山〜東京へ

 JR播州赤穂線のマスタード色の電車に乗って岡山・日生(ひなせ)へ。駅で甥っ子ユウとリョウ一家が迎えてくれました。叔母とともに7人で、95歳になる祖母を訪ねました。「おばあちゃーん、げんきーっ」。ゆっくり話します。ここ半年ほど岡山に戻る機会が多く、ほぼ2カ月おきに会っています。ご無沙汰していた時期もありましたが、会えるときには会っておこう。海の見えるグループホームを訪ねた後に割烹「上内」でお昼を食べるのが定番になってきたのでした。
姉たちと一緒に父の墓参りも。ゼイゼイ言いながら登り、穏やかな瀬戸内海と備前の家並みを見下ろします。子ども時代から何度、見たか分かりませんが、近ごろは毎回、思います。ちょうど新緑のころ、なんて美しいんだろう。
 実家では姉が小学1年生になった双子たちに自分の子ども時代のアルバムを見せていました。「もっと私、カワイイと思っとったけどなー、おかしいなー、こうしてみるとフツーじゃな」ってずうずうしいぞ。私のそれより倍の厚さがある姉のアルバムをめくります。
 おお、新幹線ゼロ系の団子鼻とともに、私と姉、父が記念撮影しているじゃありませんか。JRの思い出アルバムコンテストに応募したい。昭和だー。ところどころに母の几帳面な字が並んでいます。釣りざおを誇らしげに掲げたおかっぱ頭の姉の右側にはこうありました。「カヨ ハゼを2匹釣る」。すごい、よく釣ったねー。そんな会話が聞こえてきそうです。備前の海とともに私たちは育ったのです。
 丁寧に定規を当てて書いたと思われる右肩上がりの折れ線は、姉の体重と身長グラフでした。何だか感動しました。ちゃんとちゃんと、いっぱい愛されて育ったのだな。そしてダメ母はうなだれました。私自身は丁稚ケイにそんなこと全く、してないのでした。昭和の母はエライ。「あんた、昭和昭和って、そればっかりじゃなぁ」。姉にあきれられましたが。騒ぐケイをなだめようとiphoneを渡し、「ほら、リンリンリリン〜だよ〜」と、フィンガー5の名曲を口ずさむ私、そこだけ昭和の母かも。
 東京へ戻る直前、白十字のエクレアを叔母が買ってきてくれました。うれしいな。さてまた頑張ろう。岡山には10月、また行きます!
 

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